頭と心で考える(たくちゃん編)
2015年 07月 10日
最近、ピッコロで、「頭と心で考える」ということが話題になっている。
園児たちの間で!(汗)
この哲学的な考察が、園児たちの間でブームになっているのも驚きだが、それぞれ、それについて自分なりに考えを持っていてそれが「なんとなく」(大人でガチガチの頭の私にはなんとなく理解するのが限度)人間の質的に合っているような気がするから驚いた。
そしてそれは何とも美しく、感動的だ。
先日、長男のたくちゃんと同じ年少さんのRくんがお家でお母さんに対して
「頭だけでは考えられない。頭と心で考えられる。心だけでも、考えられる」
というような事を言ったそうだ。
そのことを聞いた大人は「???」だった。
その場にいた園長先生が、もしや子供はわかっているのかと、近くにいたたくちゃんに聞いてくれた。
先「頭で考えるってどゆこと?」
た「帰っちゃだめ」(即答)
周り「…???」(ますます解らない大人たち)
先「じゃ、心で考えるってことは?」
た「…。 帰っちゃイケナイ。」
最後の答えにドテっとなった。
おなじやん。
でも、先生は違った。
最後の答え方は間が開いた。
これは、うまく言語化できないので仕方なく同じ答えを言ったが本当は違う、と。彼は解っている、と。
その時私はガーンとなった。
その間に気づく大人がいるだろうか。
そこに気がついてこぼさない大人が、ここにはいる。
そういう保育をして下さっている。
子供の言葉を軽くみて「ハイハイ」と流している自分が恥ずかしかったと同時に感動に震えた。
数日後、たくちゃんにもう一度聞いてみたら、
頭で考えるとは 「帰っちゃだめ」
心で考えるとは 「ママがいい~(泣く真似をして)」
頭と心で考えるとは 「ママがいい~。帰らないこと!」(キッパリ)
実はこの何日か前に珍しく登園を嫌がるので調子が悪いのかと思って自宅に引き返したことがある。
けれどお熱もなく、自宅では元気に過ごして次の日は行こうね、と話していたのに次の日も泣いた。
泣けば帰れると思っちゃこれからの彼のためにならないので、園長先生がびしっと制止する。
彼は、このことを言っていた。
頭で考える → 帰っちゃだめ → 理性優先?ルール?他人から言われている感じ
心で考える → ママがいいから帰りたい → 気持ち優先
頭と心で考える → ママと一緒にいたいけど帰らない → 気持ちを受け止めた上での自分の意思、自分の言葉
鳥肌が立った。
彼なりの答えだが、Rくんの答えと合っているような気がする。
子供たちは、頭と心の違いを本能的に知っているのか。
では、Rくんの言う「頭だけでは考えられない」という点はどういうことだろう。
私自身のことになるけれど、先日とても不愉快なことがあって気持ちがどうしてもそちらに向かわないけれど行かなければいけないことがあった。
行かなければ他人に迷惑がかかるので、私は自分の気持ちに蓋をして行った。
わだかまりは消えず、むしろ大きくなってズルズルと引きずった。
帰ってから、Rくんの言葉をぼんやりと思い返しながら自分の気持ちに向き合った。
他人の嫌な部分を見て不愉快になったんじゃなくて、自分の中の妬みそねみ嫌な所に気づいて不愉快になっていたのだ。
私にも同じ所がある。だから嫌だったんだー。
そう気づいたらものすごーーーく変な感じが、すーっと消えて行った。
次からは、自分の中に凛としたもを感じて、行くのが嫌でなくなった。
最初の私は「頭だけで考えていた」のではないだろうか。
心を無視したから無理が出て、続かない。
次に、気持ちを受け止めてから行く、と決めた。
たくちゃんと同じように「頭と心で考えた」ということになるだろうか。
そうするとうまく行った。
頭だけでは考えられない、というのは、頭だけで(理性やルールだけで)考えると無理がありますよ。ということか。
おぞぞぞぞ~~~~!!
それを3歳児が解っているということか!
そして大人が逆に教わってるし!!(汗汗汗)
私は物事を頭で見る癖があった。
頭と心で見てみるとなんて美しい世界でしょう。
すべては直線と丸の調和でできている。
素晴らしい世界。
今日も、ぼんやり雨音の中に考えを泳がせている。
年少保護者 森岡 ともこ
園児たちの間で!(汗)
この哲学的な考察が、園児たちの間でブームになっているのも驚きだが、それぞれ、それについて自分なりに考えを持っていてそれが「なんとなく」(大人でガチガチの頭の私にはなんとなく理解するのが限度)人間の質的に合っているような気がするから驚いた。
そしてそれは何とも美しく、感動的だ。
先日、長男のたくちゃんと同じ年少さんのRくんがお家でお母さんに対して
「頭だけでは考えられない。頭と心で考えられる。心だけでも、考えられる」
というような事を言ったそうだ。
そのことを聞いた大人は「???」だった。
その場にいた園長先生が、もしや子供はわかっているのかと、近くにいたたくちゃんに聞いてくれた。
先「頭で考えるってどゆこと?」
た「帰っちゃだめ」(即答)
周り「…???」(ますます解らない大人たち)
先「じゃ、心で考えるってことは?」
た「…。 帰っちゃイケナイ。」
最後の答えにドテっとなった。
おなじやん。
でも、先生は違った。
最後の答え方は間が開いた。
これは、うまく言語化できないので仕方なく同じ答えを言ったが本当は違う、と。彼は解っている、と。
その時私はガーンとなった。
その間に気づく大人がいるだろうか。
そこに気がついてこぼさない大人が、ここにはいる。
そういう保育をして下さっている。
子供の言葉を軽くみて「ハイハイ」と流している自分が恥ずかしかったと同時に感動に震えた。
数日後、たくちゃんにもう一度聞いてみたら、
頭で考えるとは 「帰っちゃだめ」
心で考えるとは 「ママがいい~(泣く真似をして)」
頭と心で考えるとは 「ママがいい~。帰らないこと!」(キッパリ)
実はこの何日か前に珍しく登園を嫌がるので調子が悪いのかと思って自宅に引き返したことがある。
けれどお熱もなく、自宅では元気に過ごして次の日は行こうね、と話していたのに次の日も泣いた。
泣けば帰れると思っちゃこれからの彼のためにならないので、園長先生がびしっと制止する。
彼は、このことを言っていた。
頭で考える → 帰っちゃだめ → 理性優先?ルール?他人から言われている感じ
心で考える → ママがいいから帰りたい → 気持ち優先
頭と心で考える → ママと一緒にいたいけど帰らない → 気持ちを受け止めた上での自分の意思、自分の言葉
鳥肌が立った。
彼なりの答えだが、Rくんの答えと合っているような気がする。
子供たちは、頭と心の違いを本能的に知っているのか。
では、Rくんの言う「頭だけでは考えられない」という点はどういうことだろう。
私自身のことになるけれど、先日とても不愉快なことがあって気持ちがどうしてもそちらに向かわないけれど行かなければいけないことがあった。
行かなければ他人に迷惑がかかるので、私は自分の気持ちに蓋をして行った。
わだかまりは消えず、むしろ大きくなってズルズルと引きずった。
帰ってから、Rくんの言葉をぼんやりと思い返しながら自分の気持ちに向き合った。
他人の嫌な部分を見て不愉快になったんじゃなくて、自分の中の妬みそねみ嫌な所に気づいて不愉快になっていたのだ。
私にも同じ所がある。だから嫌だったんだー。
そう気づいたらものすごーーーく変な感じが、すーっと消えて行った。
次からは、自分の中に凛としたもを感じて、行くのが嫌でなくなった。
最初の私は「頭だけで考えていた」のではないだろうか。
心を無視したから無理が出て、続かない。
次に、気持ちを受け止めてから行く、と決めた。
たくちゃんと同じように「頭と心で考えた」ということになるだろうか。
そうするとうまく行った。
頭だけでは考えられない、というのは、頭だけで(理性やルールだけで)考えると無理がありますよ。ということか。
おぞぞぞぞ~~~~!!
それを3歳児が解っているということか!
そして大人が逆に教わってるし!!(汗汗汗)
私は物事を頭で見る癖があった。
頭と心で見てみるとなんて美しい世界でしょう。
すべては直線と丸の調和でできている。
素晴らしい世界。
今日も、ぼんやり雨音の中に考えを泳がせている。
年少保護者 森岡 ともこ
by mugihause
| 2015-07-10 02:07
| ピッコロ保護者日誌